テキサス州の州道はどこまでも広がる砂岩の荒野を貫いて、地球を1周している。いや、3周くらいはしているかもしれない。
あまりにも長く、どこまでも何もないので、州道の特定の場所を指し示すのは無意味だ。ある地点と別の地点の間に実質的な違いがないから。
そんな道をもう2日間も車で走っている。日本の車は燃費がいいと聞いていたが、ここまで給油なしで走り続けられているのは驚異と言うべきだ。ひょっとしたらレンタカー業者がガソリン車を手配しなかったのかもしれない。手違いか何かで原子力とか永久機関とか、とにかく日本人が好きそうな動力源で走る車を渡されたのかもしれない。まあそれでもエンジンは絶好調だし、シートは座り心地がよくって、尻と癒着してるんじゃないかと思う。エアコンは気が利くし、ハンドルは軽い。もっとも、この道を走り出してからハンドルを切るような機会はほとんどないけれど。あるとすれば道沿いの寂れたガソリンスタンド兼ダイナー兼売店に寄るときくらいだ。
こうした道沿いの店舗がどれほどエキサイティングでミステリアスでエキゾチックでセクシーかは、数多くの映画によって描かれている。むしろ、アメリカのこういう田舎を舞台にした映画はすべて、寂れた州道沿いのガソリンスタンド兼ダイナー兼売店を描くために撮影されている。それはもっとも古く、もっとも原始的な複合商業施設であり、世界で最後の(たぶんラスベガスあたりにある)きらびやかな大型ショッピングモールが潰れても、まだ残っている類のものだ。世界が滅びても、たぶんまだある。
こうした店は最初、目の錯覚と区別が付かない。よほど近づくまで風景に滲んだ黒いシミのようにしか見えないからだ。その状態が数時間続いてから急に大きくなって、やっと錯覚でないことが判る。
私の視界には少し前から、また新しいシミが映っていた。陽炎を透かして地平線上のそれは常に揺らいで、見えたり見えなくなったりする。姿が定まるまでは、まだしばらくかかるだろう。
カーラジオからは、ロシアの記録的な極寒についてのニュースが流れている。もう何時間もそうだ。どの周波数にあわせても一緒。モスクワ、サンクトペテルブルク、ノボシビルスク、ニジニ・ノヴゴロド、エカテリンブルク、イルクーツク、ハバロフスク、その他の都市や地域について、何度も何度も天気と気温を繰り返し、合間にアナウンサーが何かを喋る。ブリザードとマイナス数十度の世界について。豪雪と雹嵐。誰が生きていて誰が死んでいるのか見極めるのも困難な状況。積雪の重みで潰れるより早く、家は埋まっていく。
どうやらひどく緊迫した重要なニュースのようだけれど、私はどうしても関心が持てない。言葉が意識の表面を滑って、どこかへ落っこちていく。車の外は乾ききった空気に高く平べったい青空。太陽と風がもたらす灼熱の前では、声だけの極寒など掻き消されてしまう。私はどうしても関心が持てない。
黒いシミは大きくなってみれば、アイスクリームの路上販売だった。色褪せた大きなパラソルの下に高校生くらいの女の子が立っていて、その隣には冷凍庫。冷凍庫の脇では小型の自家発電機が震動している。さらにその隣、日向との境界線でジャーマンシェパードがだらりと横たわっている。その後ろにはシルバーのワゴン。後部座席は窓もシルバーに塗られていて、中が見えない。そして手作りの立て看板。
「驚きのサービス! アイスクリーム1個1ドル30セント(カップアイス)」
私は女の子の前で車を停め、外へ出た。
強烈な砂の臭い。暑さが内臓から皮膚へ、逆に伝わってくる。自家発電機の低い唸り。冷凍庫の後ろから、ラジオの音が聞こえてくる。陽気に大きな音量で、ロシア各地の天気と気温を淡々と伝えている。
「いらっしゃい」
女の子が言う。発電機の音に掻き消されないよう、大きな声だ。
彼女は洗いたてみたいなジーンズを履き、砂ぼこりと汗染みで黄ばんだ無地の白いTシャツを着ている。目元には大きなサングラス。左腕を冷凍庫に載せ、寄り掛かるようにしている。
私は冷凍庫の上にあるガラス戸から中を覗こうとした。白い霜に覆われて、何が入っているか見えない。ひょっとしたらアイスではなく、もっと別のものを売っているんじゃないだろうか。
「バニラとミント。どっちにする?」
「両方とも一個ずつ」
「え?」
「両方とも!一個ずつ!」
私は声を張る。今度は聞こえたらしく、彼女はうなずいた。
私は二つ分の代金を支払った。彼女はそれを受け取ると、冷凍庫からぶら下げてあるビニール袋へ無造作に入れた。袋は全部で三つある。
彼女は左手で冷凍庫の蓋を開けながら、ものすごい勢いで右手を中へ突っ込み、すぐさま引き抜きつつ冷凍庫の蓋を閉めた。立ち上った白い冷気が蓋に切断され、ふっと舞い上がる。右手にはバニラアイスとミントアイスが一つずつ握られていた。彼女は二つ目の袋からむき出しのプラスチックスプーンを一つ取り出した。「はい」私に向かって差し出す。
「いや、バニラはキミが食べなよ」
「そう?ありがと」
彼女はもう一つスプーン取り出すと、バニラアイスの蓋を開けた。私もミントアイスの容器を手に取る。カップは早くも表面を覆う霜が溶けだし濡れていた。蓋を開けると青褪めたグリーンのアイスが詰まっている。スプーンを突き立てようとしたが、硬く凍っていて刺さらない。
「すぐは無理」彼女を見れば顔を上向け、アイスの容器を額に乗せていた。「すぐは無理」もう一度言った。
「何のニュースだろう」
彼女が私を見る。
「ほら。ラジオでずっとやってる」
-のため、連絡が取れなくなっています。上空は厚い雲に覆われ、衛星での確認も困難とのことです。また、国際赤十字社の発表によると…
彼女はラジオの声に聞き入る仕草をして、肩をすくめた。
「さあ。どっちにしても、この辺に関係あることじゃないでしょ?」
「この辺に住んでるのか?」
「うーん。まあね。近くってわけじゃないけど」
「だろうね。人が住めそうな場所じゃない」
彼女はサングラスを外した。鳶色の瞳をしている。まぶしそうに目を細め、まるで初めて見る場所のように彼女は周囲を見渡した。
「ま、私が住んでるのもここと大差ないけどね」彼女はそう言って、サングラスを掛け直す。「退屈な場所。面白いこともお怖いこともない。なんの事件も起きない。出て行きたいけど、可哀想な兄貴がいるから離れるわけにもいかないし」
「その、お兄さんを連れて行けばいいじゃないか」
私の言葉に彼女は口の端を曲げて笑った。
「ムリ。でも、あなたいい人だね」
私はアイスをスプーンですくう。ちょうどいい柔らかさだ。口に入れると薬臭いミントの香りと甘さが広がる。彼女もスプーンをくわえて、バニラを味わっていた。
「そういえばさ」
「ん?」
私はアイスを口へ運びながら促す。
「事件、あった。殺人鬼の話、知ってる?ここら辺、って言っても私らの感覚だから相当広いけど、まあここら辺の」
「いや、知らないな」
「そう?ニュースで見たことない?」
私は少し真面目に思い出そうとする。心当たりは出てこない。
「うーん。いつごろ?」
「もうけっこう前だけど。ピックアップトラックの運転手と血まみれの女の人が保安官のところに来てさ、殺人鬼がいるって言うわけ。女の人たちが旅行してたら襲われたとかなんとか。すごい大男で、チェーンソー持ってて、気味の悪い死人の顔みたいなマスクをかぶってる。なのにすごぉく素早い。で、しかも、その殺人鬼ってのが家族と暮らしてるんだって」
私は、その殺人鬼を思い浮かべようとする。肩幅の広い、力強い体。手にしたチェーンソーは使い込まれた凶器だ。伸び放題で波打つ髪の下に見える、マスクに覆われた顔。マスクは犠牲者の顔から剥いだ皮で作ったものだ。黒いズボンにくたびれたシャツ。その上には黒いジャケットを羽織っている。
獲物を乗せて遠ざかるピックアップトラックを目に、殺人鬼は遣り場のない衝動に突き動かされる。橙色の朝日の中、殺人鬼はチェーンソーを振り回して舞う。
「で、その殺人鬼は捕まったんだろ?逃げられた人がいたんなら」
彼女は首を振った。
「それが、この辺ってどこもかしこも似たような場所でしょ?二人ともパニクってたし。だから、殺人鬼と家族が住んでる家は見付けられなかったんだって」
退屈しのぎにデタラメを喋っているんだろう。だが、私も人との会話に飢えていた。
「じゃあ、その殺人鬼は今も?」
彼女は意味深に微笑んだ。
ふと私は、発電機の唸りが二重に聞こえることに気付いた。いや、そうじゃない。もう一つは車の中から聞こえるのだ。可哀想な兄という言葉が脳裏に浮かぶ。
唐突に凄い勢いでバンのスライドドアが開き、中からチェーンソーを持ち不気味なマスクをかぶった大男が飛び出してきた。男は私の方へ意外なほどの素早さで歩み寄るとチェーンソーを振りかざした。私は恐怖と驚きで身動きできない。
だが、チェーンソーは振り下ろされない。不思議に思って女の子へ顔を向けると、彼女は腹を抱えて笑っていた。チェーンソーが止まる。男がマスクを外すと、その下からは若者の顔が現れた。女の子に似ている。
「びっくりした?」
男は人懐っこい笑顔で尋ねる。私は何度もうなずく。
「ほら、そのう。これがあれでさ。驚きのサービスってやつ」そう言って男は看板を指し示す。「チェーンソーもほら、歯がゴムなんだ」
私は差し出されたチェーンソーの歯に触れる。確かにゴム製だ。
「やりすぎた、かな」
私が一言も喋らずまだ驚いたような顔をしていると、男の笑みが不安そうになる。
「だから言ったじゃない。お兄ちゃんやりすぎなんだって」
ようやく笑い終えた彼女が言う。サングラスを外して、涙をぬぐっていた。
私の顔にゆっくりと、笑みが広がる。
「ははっ」
最初の一声が出ると止まらなくなった。私は笑い続ける。それを見て、いたずら好きな兄妹もまた笑い出す。私たちはお互いの肩をたたき合い、笑った。傍らでは発電機が唸り、ラジオからはロシアについてのニュースが相変わらず流れている。その声は深刻さと逼迫の度合いを強めているが、私たち3人は誰も関心を払わない。
-IAEAはこの事態を受けて、緊急調査団のロシア派遣は当面のあいだ不可能であるとの見解を示し…
悪魔のいけにえ・予告編(The Texas Chain Saw Massacre:1975)