濁った街灯の下、武悪の面を着けた男が立っている。身に着けたシャネルのエメラルドグリーンのスーツが男の意気込みの高さをうかがわせる。
こんな夜更けに面を着けて歩いているのは
鬼か、変質者か。
どちらにしろこちらにとって害のある相手であることに変わりない。私は身動きもせず向こうの様子を見た。向こうもこちらには気付いているようだ。じっと佇んでいる。
「黒塚に咲きたる百合のかなしけれ」
夜気に鬱情たる声が響く。
「においたる香の知るものもなき」
「もの」は古くは「鬼」を指す言葉でもあった。男は満足した様子だった。
「黒塚なら面は武悪よりも般若でしょう?」
言ってから私は、しまった、と思う。歌が上手くできてつい調子に乗ってしまった。
ところが男は慌てた様子で頭上に手を当てた。そこに角はない。
「あなや」
古風に叫ぶと男は掻き消えた。
「本物だったのか。雅やかだったなあ」
風が吹いた。
「あ、牛丼冷める」
私はビニール袋を持ち直すと家路を急いだ。