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観音小説第5話:パーキング・ガリア

いと大なる功徳は瞥見するをえず、細かきを重ぬるにそれと知れる

数日が過ぎた。相変わらず法一は観音像に日常を蝕まれ続けていた。家に帰り、郵便受けを開けると何体もの観音像が転がり出てくる。使い終わったシャンプーの容器から、白い粘液にまみれたかぐわしい観音像が出てくる。

電車は時刻どおりにやって来た。乗客がやけに少ない。誰もがポケットティッシュでしきりに鼻をかんでいる。ゆっくりと電車はホームから離れていく。

ノートは、あの巨きな観音像の管理人が書いていた業務日誌だった。とはいえ仕事はほとんどなく、管理人の私的な日記といった部分も多かった。それによると管理人も法一同様、日常を覆い尽くすような観音の増殖に悩まされていたらしかった。何が解決するわけでもなかったが、少なくとも同じようなことで不安を感じている人間がいたということが法一には心強かった。それにどうやら物事の感じ方まで似ているようで、自然と法一は見知らぬ管理人に親近感を抱くようになっていた。
法一は終夜営業の小さな駐輪場で働いていた。夜中のシフトで、同僚の鳥羽清次郎という物静かな男と二人きりだ。訪れる客はほとんどおらず、たいていは読書をしたり備え付けのテレビを観たりと、各自が思い思いの世界に沈潜している。

法一は管理人のノートを読み返していた。少しずつ文章の中に観音の話が増えてくる過程がはっきりと判る。趣味で撮っていた写真の中に、観音像が写りこむようになったのが始まりらしい。その後、観音像の姿は徐々に増え、途中で二度と写真は撮らないということが書かれている。
「何を読んでいるんです?」
珍しく清次郎が話し掛けてきた。法一は置き忘れのノートを公園で拾ったなどと適当にごまかしながら、ノートを清次郎に渡した。

清次郎は始めのうちこそ熱心にノートの内容を読んでいたのだが、途中からページをめくる動きがせわしなくなっていった。
「これ、法一さんの字じゃないですか。暇だからって変な冗談はよしてくださいよ」
意味が解らずに法一が困惑していると、清次郎は傍らにあった勤務日誌を法一に投げてよこした。法一は日誌を開いてみた。確かに、ここ数日見慣れた字が並んでいる。縦に長い癖のある字は、間違いなく管理人のノートに記されているのと同じ筆跡だ。首筋にささくれを突き立てられたような感触がある。

顔を上げると、清次郎は興味を失ってしまったのかテレビに観入っている。法一は一人になるため、見回りに出た。

真夜中の駐輪場は静かだった。過剰に明るい蛍光灯の下、灰色の壁と床がどこまでも続いている。停められた自転車の鮮やかな色遣いが、風景から遊離しているようだった。簡素な空間に法一の足音が響く。地下1階から3階まである駐輪場は、引き取り手のない自転車も少なくない。そろそろまた、そういった自転車が処分される時期だ。
見回りといっても特にすることがあるわけではない。地下特有の湿っぽい空気の中を、適当に歩き回るだけだ。互い違いに並べられた自転車のスポークやハンドルが、視線の移動に合わせて輝く。
法一はノートと日誌のことを考えていた。頭の中で両方を比較してみると、やはり同一人物が書いたとしか思えない。なら、管理人とは自分のことなのだろうか。そもそも、あの空間は実在したのだろうか。妄想だとは思いたくなかったが、今の自分が現実をちゃんと認識できている自信はなかった。そういえば、清次郎は法一の歯に刻まれた観音像について何も言わない。
「あれ? 法一さん」
3階へ下るスロープから清次郎が上がってきた。
「嫌なもの見つけちゃいましたよ。ほら、これです」
清次郎は脇に抱えた1メートルほどの観音像を振ってみせた。
「いたずらだと思うんですけど、さっきのノートを読んでたから…。なんか、そういうのが流行ってるんですかね?」
清次郎に向かって法一は首を振りながら、内心で安堵した。やはり観音像は妄想ではないのだ。と、同時に別の不安が湧いてくる。いったい清次郎はどうやって、自分に気付かれることなく3階へ降りたのだろうか。スロープを除いて他に下への道はなく、歩いていれば響き渡る足音に必ず法一は気付いたはずだ。

法一の疑問をよそに、清次郎は観音像を抱えたまま地下1階へのスロープを登っていく。横向きになった観音像の影が、壁に薄く揺らめいていた。


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