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観音小説第1話:マックフェイク

汝、浄土に価せざるといへども、地獄の責め苦を受くる由なし。
いまはただ観音経をも念誦し、後生の頼みとも為せ。

店先に漂う甘い脂のにおい。自動ドアをくぐると夏の痛烈な日差しは背後で締め出され、代わってエアコンの冷気と灰色っぽい蛍光灯の明かりが全身を包む。店員たちは一箇所に集まって監視カメラの画像に見入っていたが一斉にこちらを向き、「いらっしゃいませ」という言葉を浴びせてくる。

平日午後3時のマクドは空いていた。柿原法一はカウンターで待ち受ける店員に、チョコレート味のマックシェイクを注文する。とにかく食欲がなかった。何を前にしても脂汗と生唾が出てくるばかりで、昨日からなにも体内へ取り込めていない。甘い液体なら大丈夫だろうと思ったのだが、ポテトを揚げる油の臭いが早くも執拗に胃壁を逆撫でている。
「シェイク入りまーす」
「サンキュー」
「サンキュー」
「サンキュー」
「サンキュー」
「サンキュー」
「サンキュー」
サンキューサンキューサンキューありがとうありがとうありがとう本当に、ありがとうございます。

胃の動向に意識を集中していると、目の前にLサイズのカップが差し出された。代金を払った記憶はないが、法一はカップを受け取ると力なく2階へ上がった。

2階席も客の姿は少なかった。散り散りに座っているのは3組、どの席も母親が子供を向かいに座らせ、自分の足元に膨れ上がったスーパーのビニール袋を置いている。母親たちは法一に不審げな目を向けたが、すぐに関心をなくして自分たちの世界へ引きこもってしまった。

法一は窓際のカウンター席へ座った。外はガラス一枚を隔てて、灼夏の昼下がりが拡がっている。遠くの交差点で猫が一匹、倒れている。はねられたのだろう。自動車やバイクがそこを避けるように通過していく。

大げさに顔をこすって気合を入れると、法一はシェイクに取り掛かった。中身を吸い出すと、粉っぽいチョコレートの味が口の中へ広がる。飲み込めば重みのある液体は胃酸を押し返しながら、食道を下っていった。もう一口吸い出す。酷く甘い。歯が痒くなりそうだった。ストローがフタの切れ込みにこすれて、ギリギリと軋みを上げる。

大きなカップを両手で抱えて少しずつ飲んでいると、だんだん体が冷えてきた。鳥肌の先からチョコレートが染み出してくるようだった。母親たちは既にいない。今やフロアにいるのは法一独りだった。店内監視カメラの映像を、階下の店員全員で見守っているのが感じられる。

途中で一度、目詰まりしたストローを新しいものと取り替えながらも、法一はどうにかシェイクを飲み終えた。頬の筋肉が痛む。最後の一口が喉の奥へ消える。口の中へべったりと、乳脂肪が膜を張っている。法一はカップをテーブルへ置いた。と、何か硬いものがカップの底へぶつかる音が聞こえた。 手にとって空のカップを振ってみる。小さく硬いものの転がる手応えと音。フタを透かし見ると、小さい金属製の観音像が入っていた。窪みという窪みにマックシェイクが溜まっているのだが、幼いころ、祖母に連れられて行ったお寺の観音堂で目にしたものと同じ姿だった。

観音像をカップからつまみ出すと、指先に冷たさが染み入る。小さいから軽いのだが、金属製なので見た目よりは重い。持っている手が落ち着かない。

法一はトイレに行くと、洗面台で観音像を洗った。金臭さが立ち込める。洗い終えると手を振って、窪みに溜まった水滴を落とす。

きれいになった観音像はよく見ると細部の作りが雑で、台座の細かい模様や衣のひだなどの一部が潰れていた。

うっかり入り込んだとは考えにくい。とはいえ、故意というのもありえないことだ。法一は考え込みながら、無意識に舌先で歯を撫でた。
違和感がある。

法一は歯を閉じ合わせたまま、鏡に向かって大きく口を開けてみた。

歯の表面には、1本に1体、小さな観音像が彫り込まれていた。どれも微妙に異なるポーズを取っている。所々のくぼみに磨り潰されたバンズやミートパティが挟まっていた。洗面台へ手を突き、さらに鏡へ顔を近づける。間違いない。いつの間にか歯へ小さな浅浮き彫りが施されている。法一は大声で叫んだつもりだったが、実際には喉の奥からかすれた喘ぎが漏れただけだった。

不意に舌の上へ何かの重みを感じた。吐き出してみると、それもやはり小さな観音像だ。銀鼠色をしている。恐る恐る舌先で奥歯を探ってみると、深い穴が開いていた。詰め物が取れてしまったのだ。法一は震える手の平へ歯に詰まっていた観音像を乗せた。指先でひっくり返してみると、背中には薄く磨耗した文字で「MADE IN VIETNAM」と刻まれていた。


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