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インターホン-ドアと窓

古ぼけたマンションに帰ると、重たい金属のドアを開けて素早く手を離す。中へ入る一瞬ドアとフレームとの間、ちょうつがいの生み出す隙間から女の姿が見えたような気がした。背後で自然とドアが閉まる。

気のせいだろうと思っていたけれど女の姿は日に日に大きくなる気がして、ある日、
とん…

背後で閉ざされたドアを誰かが叩いた。続いてチャイムが鳴る。私は慌ただしく靴を脱ぐと、インターホンの前に立った。インターホンにはカメラが付いており、外の様子が見えるようになっている。

小さなモニターに女の胸元から上が映っている。長い髪を肩まで垂らし、細長い顔は無表情だ。カメラを見据える瞳孔は開き、やけに疲れた肌の表面には粉が吹いていた。狭い隙間を通して目にした、あの女に間違いないと思った。

インターホンのスピーカーから、外を吹く風の音が聞こえた。私は息遣いを聞かれまいと、呼吸をゆっくり引き延ばす。

女はそれきり、じっと立っていた。何の臭いをかいでいるのか、真っ直ぐな鼻筋の先で、ときどき小鼻がひくつくいている。

自動的にカメラが切れた。外からの物音も止む。私は携帯電話を手にすると、警察へ電話した
「はい。東魚山警察署」
眠たげな男の声が無愛想に応える。
「あの、家の前に変な女が立っていて」
「担当者に代わります」
男は少し慌てたような口調で告げると、通話を保留にしてしまった。安っぽい「峠の我が家」が数フレーズ、繰り返し繰り返し繰り返し流れる。ところが、一向に誰も電話にでない。どうも腑に落ちない。

それにしても酷く寒い。寒さと緊張とで強張った脚が小刻みに震えている。ふと私は床から目を上げ、外の廊下に面した窓が窓枠や鉄格子もろともなくなっていることに気付いた。そこから女が入ってきたらどうしよう。私は窓の方を向いたまま、ゆっくりと後退する。

しかし女がそこから進入してくることはなかった。耳元で蠅音のように保留音が鳴っている。私は携帯電話を耳から話すこともできないまま、ゆっくりと横から回り込むようにして窓へ近付き外の様子を窺った。

女はやはり、ドアの前に立っている。体の脇へ垂れた右腕はほとんどちぎれており、肘の所の皮膚一枚で腕にぶらさがっていた。肘の皮膚は腕の重さですっかり伸びきっている。血は乾いて、赤黒い塊になっていた。

ようやく電話がつながった。私は女に聞かれないよう小声で、同じ内容を繰り返す。相手は黙って耳を傾けていたが、どうも様子がおかしい。そういえば、電話がつながってから一言も発していない
「お父さん、お父さんオトウサンおとうさんお父さんお父さん」
突然、電話を通して女の声が聞こえてきた。変に裏声で、そのくせ妙に一本調子な抑揚で声は「お父さん」と連呼する。未だ女性経験すらない自分が、お父さんと呼ばれるはずはない。

私は女の方を見た。いつのまにか、女は左手で携帯電話を耳にあてがっていた。口は全く動いていないが、それでも私には電話の向こうで「お父さん」と繰り返しているのが目の前の女なのだと判った。すぐに通話を切る。すると女は口を大きく開き、持っていた携帯を突っ込んだ。そうして眉間にしわを寄せ、口元を震わせ、携帯電話を噛み砕こうとする。どれくらいの力がそこで揺らいだのか、不意に女の歯が折れた。女は携帯電話を引き抜くと、廊下の外へ投げ捨てた。少しして、アスファルトへ軽いプラスチックのぶつかる虚ろな擦過音が響いた。次に女は折れた歯を足下へ吐き捨てた。血の混じった唾液が歯と唇をつなぐ糸となり、徐々に細くなって途切れる。

不意に、部屋の奥からものすごい音量で音楽が流れだした。私は驚いて振り向きながら跳び退こうとし、流しに腰をぶつけた。握りしめたままだった携帯電話が床に落ちる。

鳴っているのは私のミニコンポだ。どうやらラジオの音楽番組らしいのだが、音量が大きすぎて上手く聴き取れない。私はミニコンポの方へ目を遣ったが、コンポの電源は入っていなかった。それどころか昨夜から、コンセントは抜いたままになっていたことを思い出す。私はもう一度、窓から外を覗く。

いったい何事かと、同じ廊下の並びにあるドアが次々と開いた。しかし出てきたのはみな、ドアの前に立っている女とそっくり同じ女たちだった。

女たちは揃って私の方を見た。何の臭いをかいでいるのか、真っ直ぐな鼻筋の先で、ときどき小鼻がひくつくいている。


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