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小鬼を拾う

一人の男が小鬼を拾う。無銭飲食でもしようとしたのか、朝方まで営業している安い居酒屋の前で倒れ込んでいたのだ。よほど抵抗したらしく頭にかぶっているとんがり帽子は先っぽが潰れ、踏みつけた店員の足跡が灰色の筋になっている。

男はぐったりした小鬼を抱え上げると、なるべく鼻で息をしないようにしつつ家へ連れて返った。小鬼の例に漏れず、この小鬼も酷く臭いのだ。

家へ連れ帰ると、男は明かりの下でじっくりと小鬼を観察した。日本では見かけない緑のチョッキに色褪せたズボン。四角い大きなつま先の革靴は、苦労して玄関で脱がせてある。靴の下は裸足で、伸びすぎてとがった爪が毛だらけの指先から長く突き出している。

顔立ちは、あの独特な小鬼顔。つまり高く平べったい鼻の上に左右へ離れすぎた小さい目。太いくせにまばらで薄い眉。唇はないに等しく、こちらも左右に大きい。ヒゲはなく、尖ったアゴが反り返っている。アゴの下からチョッキの襟元までをつないでいる首はシワというかヒダというか、そういったものに覆われている。

男はまだ意識を取り戻さない小鬼を眺め、自分のアゴをなでつつどうしたものかと考える。気まぐれにしても小鬼を拾ってきたのはマズかった。彼らは驚くほど人間と違う考え方をするのだ。厄介なことになりかねない。

ふと男は鼻をヒクつかせ、顔をしかめる。恐ろしく不快な、異国の馴染みない発酵食品みたいな臭いがする。そこで男は窓を開けると湯船に浅く湯を張り、苦労して服を脱がせ、湯気立つ湯船に放り込んだ。もちろん換気扇はオンにしてある。

しばらくして男が風呂の戸を開け中を覗くと、小鬼は湯船につかりながら憮然として男をにらんだ。
「ありがとう」
必殺の呪文を唱えるように言う。つまり、それこそが小鬼らしい振る舞いなのだ。上機嫌だろうが感謝していようが、いつだって世界を呪っているかのような態度。ただ彼らは嘘を吐かないとされているし、それに感情表現の仕方が人間とはだいぶ違うとも言われているので、「ありがとう」と言えばそれは言葉どおりの意味なのだ。
「どういたしまして」
男は言いながら空気中に小鬼の臭気が残っていないか慎重に確かめる。ほのかに臭っているが、気になるほどではない。実際のところ、この男はそういったことにうるさい方ではないのだ。そもそも、散らかったこの部屋自体が小鬼とはまた違った臭気を漂わせている。

小鬼がさっきの服を身につけ、首にタオルを掛けた姿で出てくる。頭にかぶったとんがり帽子は、まだ先が潰れたままだ。
「ほら」
男は冷蔵庫からヱビス黒ビールの缶を取り出し、小鬼に手渡した。口を動かしていないのに、小鬼の唇が薄くなる。一般に「小鬼の笑顔」だとされている。

小鬼はビールを一口飲んだ。
「黒ビールじゃないか!」
ますます唇が薄くなる。
小鬼は惜しむように少しずつビールを飲んでいたが、やがて缶から口を離した。
「こんなに親切にされたのは、こっちに来てから初めてだ。お礼に三つの願いを叶えてやろう」
その申し出に男は驚いた。噂には聞いていたが、本当に叶えてもらったという人には会ったことがない。おまけにそう言う話は大抵が「友達の知り合い」だとか「知り合いの兄」だとかで、つまり都市伝説のたぐいだろうと思っていたのだ。
「本当に?なんでも?」
小鬼はうなずく。
「制限とか上限はあるけどな」
何を願うか、一つ目はすぐに思い付いた。
「じゃあ、金を」
「10億円までなら出せる。それ以上は禁止されている」
10億円。男にとっては一生掛かっても稼げない額だ。もちろん、不満はなかった。
「じゃあ、それで。あ、それと」
男は細かい条件を口に出そうとした。事細かに指示しないと、たいてい何か問題が起きると言われているのだ。日銀で印刷されたモノではないとか、銀行の金庫から持ってきたものだとか。

しかし、小鬼はうるさそうに手を振って男の言葉を遮った。
「オレはそこらの小僧とは違う」
そして何やら呟くと、男の家の床に札束が出現した。どれもきちんと束ねられているが、新札ではない。
「全部、落ちていたり埋まっていたりした金だ。1万円札ばかりではないが、数えやすいよう100万円ごとに束ねてやった」
それなら、使うにあたって何も問題ない。男は小鬼の気遣いに笑みがこぼれた。信じられない思いで床に積まれた札束を眺める。
「じゃあ、次は…」
そこで少し迷う。特別に長生きしたいわけではないから、不老不死はいらない。恋人が欲しい気もしたが、魔法で手に入れるのは感情的に抵抗がある。恋愛については、いささか古風な思い入れがあるのだ。
「頭が良くなりたいってのは?」
「そうだな。頭の良さにもいろいろある。何を以て頭が良いとするかも難しい。たとえば……」
ずいぶん理屈っぽいが、小鬼とはそういうものだ。願い事を綿密に指定する必要がある原因の一つも、そのためだという。
「いや、じゃあいい」
男は話が長くなりそうなことを察知し、取り消した。それに言ってはみたものの、頭が良くなったら自分が自分じゃなくなるような気して、急に怖くなったのだ。
「死ぬまで健康でいたい。どうだ?」
小鬼はうなずき、また何か呟いた。男は不意に、これまで感じたことがなかった爽快さを覚えた。
「これで原因がなんであれ、あらゆる病気や肉体の不調から解放された。いつも最高のコンディションだ。死ぬとしても怪我や寿命ってことになる」
体が軽く、普通にしているだけでも気持ちいい。意識していなかっただけで、これまで普通だと思っていた体調がどれだけ最高の状態から遠かったかを男は思い知った。
「さて、最後だけど」
そこでまた考え込む。なんだろうか。思い浮かばない。無欲なわけではないし、現状に満足してるわけでもない。ただ。どんな願いも、となると迷う。たとえば、欲しいものを挙げればすぐにいくつも出てくる。だがそれで一生に一度のチャンスを使うかと言えばそこまでじゃない。だいたい今や10億円も持っているのだ。物ならそれでどうにかなる。金で手に入らない健康も得た。さて、そこで。

男が迷っているうちに小鬼はビールを飲み終えて、冷蔵庫から2缶目を取ってきて飲み始めた。実に満足げなその様子を見ているうち、男はふと尋ねた。
「そんなに酒が好きなら、自分で出せばいいじゃないか。大金を出せるんだからそれくらい簡単だろう?」
男の問いに小鬼は首を振った。
「自分の願いは自分で叶えられない。他の小鬼に頼んでもいいが、なんとなく貸し借りみたいな感じになるだろ?それに、そうやって手に入れた酒は美味くないんだな。どうも。そもそも願い事ってのは自由自在ってわけにいかない。今日みたいに人から親切にされるとか、なんかそういう切っ掛けがないと駄目なんだ。ま、仮にいつでもこの力が使えるにしたって、そうそう使わんだろうな。なんだかんだで結局、オレたちは満足するってことを知ってる」
小鬼の言葉を聞いていて、男は自分が恥ずかしくなった。願おうとしていたことがどれもこれも、あまりに即物的というか欲望丸出しなものばかりだったからだ。どうせ最後なのだから、もっと夢のある願いでもいいじゃないか。金と健康があれば、他はどうにかなるだろう。

そうやって考えを変えてみると、願いはすぐに見付かった。
「月に行きたい」
男は子供のころ、宇宙に憧れていた。いつかニール・アームストロングのように月から地球を眺めたいと思っていたのだった。ずっと忘れていたその願いも、今なら叶えられるはずだ。
「月?月って、あの?」小鬼は長く爪の伸びた指で上を指した。男はうなずく。
「月、なあ。オレも長く生きてきて何人かの願いを叶えてやったが、そんな願いは初めてだ。聞いたこともない」
小鬼の言い方に男は不安を覚えた。
「無理、か?」
「いや。できる。あんな所に行って何がいいんだか知らないが」
小鬼は膝に手を当てて立ち上がった。
「じゃ、行くか」
そうしてベランダへ出る。男もコートを羽織ると外へ出た。
小鬼は両手を差し伸べ、男の手首をつかんだ。小鬼の手は滑らかで、ほんのりと柔らかい。 「行くぞ」

小鬼が口の中でまた呟くと、その体が浮かび始めた。完全に宙に浮くと、引っ張られて男の体が持ち上がる。

こうして二人は夜空へ飛び立った。男は小鬼に吊り下げられている形だったが、手首にそれほど負担は感じない。自分にも浮力が働いているんだろうと理解した。

下へ目を転じればアパートはどんどん小さくなり、自分の暮らす町並みが小さくなり、細かいところが混ざり合って、とうとう見えるのは夜闇と光の2種類だけになってしまった。交流電気の波に合わせて、光がゆっくりと明るさを変える。右へ左へ、夜の大地が揺れている。

夜景に見惚れていた男は、寒さで我に返った。気付けば体が芯から冷えている。おまけに強風が吹き荒れ、耳はその轟きに覆われている。

視界の右側は黒々とした太平洋、左側は陸地。光に縁取られた海岸線がくっきりと浮き上がっている。冷静に考えると、もの凄い高度だ。

男はパニックに襲われ、無茶苦茶に身をよじりながら叫び声を上げた。顔を上げれば小鬼が大口を開けて笑っている。男がふざけていると思ったのだ。だが、笑い声は聞こえない。小鬼は真顔に戻ると安心させるようにゆっくりとうなずき、男をつかむ力を少し強めた。

一つの疑問が男の頭に浮かんだ。いったい小鬼は宇宙についてどれだけのことを知っているのだろうか。真空や絶対零度、宇宙線、もっと手前ですら寒さと酸素の薄さは命りだ。再び男の体を大きな震えが走る。これまでのところ、控えめに見て小鬼がそうしたことに対してきちんと配慮しているとは思えない。確かめようとして男は大声を出すが、風に散り乱されて自分の耳にすら届かない。 そんな男の不安に気付いているのかいないのか、小鬼はすべて任せておけというふうにもう一度うなずくと頭を上げ、二人が目指す先にあるもの、月の方へ顔を向けた。

どれくらいの高さまで来たのだろうか。息苦しくなったような気がする。おまけに頭もぼんやりしてきた。
「ちょっと、寒すぎるんじゃないか?」
男は呟くが、それは普通の場所であっても他人には聞こえない程度のかすかな声だ。

混じりっ気のない月光に全身を包まれながら、二人はゆっくりと上昇を続けていく。こうして、私たちと三つの願いとのあいだには、また一つ根深い不信感の種が加わったわけだ。


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